2016.12.07

インド・デリー、グルガオンのライフスタイル Life Style in Delhi,Gurgaon,INDIA

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photo & text : Kazuko TOMOYORI + Tranlogue Associates


世界第2位の人口12億人を抱えるインド。2030年までには、中国を抜いて1位になる見込みです(UN,World Population Prospects2015)。構成年齢も典型的なピラミッド型で、若い人口が多くを占めています。

製品やサービスの開発に係る国内外の情報サービスを行っているトランローグは、2016年10月、インドのライフスタイル調査のため、現地を取材しました。その様子を一部ご紹介します。

インドは、新興国BRICs(※)の中でも、ここ数年GDPが年7%という高い成長率を達成しています。
※ブリックス: 2000年代以降著しい経済発展を遂げているブラジル、ロシア、インド、中国の4ヶ国の総称。南アフリカ共和国を加えることもある(wikiより)。
2014年にモディ政権が誕生し、海外投資を呼び込んだり、国内の製造業を後押しするなど、経済振興を推進しています。
現地で聞いた話によると、モディさんが政治に参加するようになったのは、彼が働いていたチャイ店(カフェ)が、政治家の集まりにチャイを提供していたのがきっかけだったとか。やがて、出身地グジャラート州の首相に就任しました。州では、インフラ整備や外資の受け入れに力を入れ、州の経済発展に貢献。その実績をかわれて、インドの首相に就任したモディさんとその政権には、国民も大いに期待しています。


中間層の増加で、車の販売も拡大を続けるインド

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MARUTI SUZUKI /マルチスズキ


取材した10月は、インド人が1年で最も買い物をする月間「デワリー(ヒンドゥー教の新年のお祝い)」。
ショッピングモールは多くの買い物客で賑わい、取材で訪ねたマルチスズキの販売店でも、1週間で、160台を販売したそう。店の周りに 納車予定の車がズラリと並んでいました。

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▲インドで4割近いシェアを持つマルチスズキのショールーム

モディ政権では、車を購入する際、現金よりローンを組む方が安くなるような政策を進めているとのこと。どういう意味かというと、インドでは富裕層ほど税金逃れのため、現金を持っており、ローンで車を買う庶民により多く車を買ってもらう政策の一つなんだそうです。また、銀行口座の開設を促し国民の財産を把握するためか、「口座を開設した人には、助成金を振り込む」といったユニークな政策や、11月8日には突然、高額紙幣の廃止を発表し、世界を驚かせました。表向きは、ニセ札対策だとしていますが、富裕層の現金による蓄財を吐き出させる狙いがあると見られています。

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▲案内していただいたマルチスズキ販売店マネジャー

インドの人の車の購入意欲は、高まっていて、庶民の車スズキをはじめ、FORDやHONDA、HYUNDAIなどのワンランク上の車の販売も好調。取材中にも多くのFORDのSUVを目にしました。マルチスズキもそれを見過ごすわけにはいかないとばかりに、昨年にはランク上のブランドショップ「NEXA」をオープン。店の中も通常店とは違う、おしゃれなインテリア。個室でiPadと大型モニタを使い、プレゼンテーションしています。

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▲昨年オープンしたマルチスズキの「NEXA」ショールーム

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▲個室スペースでのiPadと大型モニタを使った接客

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▲モダンで明るい店内。店員もオシャレなスーツで揃えている


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HONDA/ホンダ


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▲GurgaonにあるHONDAショールーム

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▲盗難予防や修理のアフターサービスの充実が購入のポイントになるインドでは、車のコネクトサービス加入者も多いそう

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▲車を購入する際は、家族みんなの同意を大切にしている


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▲デリー市内を走る車はどれも、想像以上に新しくきれい

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▲アジアならではの人力3輪車リクシャーも気軽な足として健在


住宅訪問:01

Sharmaさんのお宅

DelhiのRohini地区、宝石店に勤めるSharmaさんのお宅を訪問しました。Sharmaさんはミドルクラス。
まだ、新築されて間もない5階建てのマンションの1フロアに、家族4人でお住まいです。ご主人はお仕事で留守でしたが、奥さんと息子さん二人が出迎えてくれました。近年は、デリーなどの都市部は、このお宅のように核家族が増えているとのことでした。

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▲1階は駐車場。出入りは日本のマンションと同じようにインターホンで呼び出し、来訪者を確認した上で解除するオートロック式。呼び出し音はインドらしく、音楽とともにお経が流れる

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▲エレベーターホールの壁には大理石。インドでは大理石が豊富に採れるため、大理石の内装は珍しくない

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▲エレベーターの内部もインドならではの、ゴージャスなデザイン

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▲ご主人のお父さん、お母さんの写真が飾られたリビングダイニング

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▲奥さん、2人の息子さんとお友だち

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▲左手奥がリビングダイニングに続くキッチン

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▲息子さんはテコンドーの選手。いくつもの大会で優勝している

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▲テレビとサウンドシステム。インド人は大音量で音楽を聴くのが大好き

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▲インテリアは主に奥さんが選んでいるそう

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▲女性に人気の、赤い全自動洗濯機


住宅訪問:02
Mehtaさんのお宅

家電の修理を仕事にしているMehtaさんご夫婦と、外資系のコールセンターに勤める長男夫婦のお宅を訪問。Mehtaさんもミドルクラス。
二人は、結婚したばかりで、取材の翌日からドバイに新婚旅行に出かけるということでした。

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▲20代の若い女性は、TシャツにGパンが一般的になりつつあるようです。

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▲正面右手は、神棚。ヒンドゥー教の神さま、象の顔をしたガネーシャ柄のガラス扉。左はインド特有の、鍵の付いた冷蔵庫。ステッカーには省エネ度合いを示した星マーク。以前に比べ省エネ度合いに、とてもこだわるようになったそう

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▲奥さんに今欲しいものは何か、と尋ねると、「イタリアデザインのシステムキッチンにリフォームしたい」という答えが返ってきた

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▲お嫁さんが選んだという長男夫婦のインテリア


住宅訪問:03
Bhupinderさんのお宅

今回、取材コーディネートを務めてくれたBhupinderさんご家族。Bhupinderさんもミドルクラス。
いつも微笑みを絶やさず、渋滞だらけのインドでスケジュール管理もばっちり。ご家族も優しく、料理など家での暮らしぶりから学校生活まで、ライフスタイルについて教えていただきました。

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▲穏やかなご主人のBhupinderさん一家。奥さんとは恋愛結婚だそうで、インドでも少しづつ増えているとのこと

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▲女性の服装も最近では、 サリーより、シャルワール・カミーズと呼ばれるチュニックにスパッツのスタイルが人気。奥さんの手の模様は、数日前に行われたお祭り用にヘナで描かれたもの。数日すると消えてしまう。インドの女性は、強い色同士のカラーコーディネートも素敵にまとめている

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▲ご馳走してくれた、奥さん手作りのとても美味しい豆カレーとチャパティ、カリフラワーの炒めもの
Bhupinderさんの奥さんに買い物は、どこですることが多いのか訊ねると、普段はローカルマーケットへ出掛け、忙しくて時間がない時は、野菜の行商から買うことも多いとか。値段が高いが何でも揃う、ショッピングモール地下の食品売り場でも時々買い物をするとのこと

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▲Bhupinderさんの家の前で出会った、野菜行商のおじさん

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▲Rohini地区のローカルマーケット

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▲ショッピングモールの地下の食品売り場


ローカルの不動産会社
Raju Properties

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▲仲間3人で地元の不動産を扱っている。事務所には、何もないがここで看板をあげていれば、お客さんはやってくる


近年次々とオープンするショッピングモール:01

Pacific Mall

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▲小さな遊園地も備えた巨大モールには、ZARAやスタバなどグローバルブランドが揃っている

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▲テロのあるインドでは、店内に入場する際、必ずセキュリティゲートを通らなければならない。一見面倒だが安心できる

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▲デワリー用の華やかな飾り付けをしたモール内

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▲段差のないエスカレーター


デリーの家電量販店

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▲Rohini City Center Mall の家電売り場

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▲インドでは窓付けタイプのエアコンが主流だったが、最近は日本と同じように壁付けタイプも普及している

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▲チェーンの家電量販店CROMA

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▲大気汚染の深刻なデリーの量販店では、多くの空気清浄機が並べられている


日本のODAで始まったデリーの地下鉄

2016年現在、デリーの地下鉄は、6路線が開通していて、2021年には中国に次いで、世界第2位の総延長網になる予定。インドでは、地下鉄に乗るにもセキュリティゲートは必須です。
大阪の地下鉄御堂筋線を思い出させるプラットホーム。女性専用車両もあり、とても親しみが湧きます。

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▲乗車券は日本のSuicaと同じFelicaが採用されている。右は、1回ごとに回収し再利用される、コイン型電子チケット

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サイバーシティ Gurgaon
NRMインターナショナル

デリー郊外にある新興都市グルガオン。この10年ほどで急速に発展したグローバルなサイバーシティで、多くの外資系企業がオフィスを置いています。グルガオンにあるデリー近郊の不動産事情に詳しいNRMインターナショナル社を訪ねました。
在インドの日本人の7割近くが、ここグルガオンに滞在。デリーとムンバイを結ぶ国道8号線沿にある日本専用のニムラナ工業団地の入居率も9割近くに達していて、新しくギロット工業団地もできているそう。今後もデリーNCR(デリー首都圏)とムンバイをつなぐ国道8号線には、多くの日本企業が集まってくるようです。

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▲NRMのインド駐在の實川さん。インド進出企業の不動産に関する様々なサポートをしている


古いものと新しいものが共存。
活気に溢れるインドのデリー


デリー中心部のビル街に残る「階段井戸 Agrasen ki Baoli」は、各地に残る世界遺産の階段井戸のような派手さはありませんが、生活に根ざしていたことを窺わせます。地元学生の交流・憩いの場として、カップルや学生グループの自撮りで大賑わい。映画ボリウッドのロケ撮影にもよく登場します。

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デリー中心部のビル街に残る「階段井戸 Agrasen ki Baoli」は、若者のデートスポット


今後、経済を中心に世界で重要な位置を占めるインド。トランローグのインドウォッチは続きます。
インドライフスタイル取材については、info@tranlogue.jpまで、お問い合わせください。


関連記事■次の暮らしのデザイン

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2012.10.10

イタリア人建築家から届いた最新リフォーム事例

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design & photos: Luca Ladinetti architetto
text: Luca Ladinetti architetto + tranlogue associates

今回はトランローグのパートナーで、母国イタリアで活躍する若手建築家ルカ・ラディネッティと、彼の住宅リフォームの作品を紹介します。 イタリアでランドスケープデザインを中心に建築を学んだルカの作品には、景観からインテリアのディテールまで、スタイリッシュで快適なデザインが貫かれています。 日本での活動を希望するルカですが、私たち日本人デザイナーが学ぶものは多い筈です。

南イタリアにある小さな町Massignanoの住宅

Massignanoは、ブドウ畑とオリーブ畑の美しい丘陵風景の中にある海から数キロ離れた小さな町。クライアントは、120平米の大きなガレージを娘のために、住居に改築したい、とのことでした。完成した住まいは、庭を通って入るエントランスからまっすぐに、反対側の窓まで見通すことができ、エリアごとに異なる床材で構成されています。そして海が眺められる庭には、地元の石を高さをかえて配置し、娘の誕生時に植えられたオリーブの木がシンボルツリーとして残されています。

An apartment in the countryside of Massignano, a little town in south Italy. short description of the intervention:The intervention is located near Massignano, a small town a few kilometers from the sea, in a beautiful hilly landscape characterized by vineyards and olive groves.
The client had a large garage (120 sqm) who wanted to turn into a dwelling for his daughter.
The project is organized around a traditional Italian system, divided between living and sleeping areas characterized by a different treatment of floors and is organized on a long corridor that runs through the entire building and that visually connects the entrance with an opposite window.
The house interacts with the outside through the garden, where you can see the sea, which is structured through the use of offset plates of local stone, that determine different areas of use: parking, dining area, paths, etc.
Outer space is characterized by the presence of a single vegetal element: an olive tree that the client has planted at the birth of his daughter.

project data:
location: Massignano (AP), Italy
typology: apartment
client: private
dimension: 120sqm
amount of work: 120.000€
project: 2012
completion of work: 2012

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室内は、白で統一された空間に、木目のボードがアクセントのキッチン、ボルドーカラーが効いたバスルームなど、とってもクールな空間。

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▼そしてこちらは、現在進行中のガーデンプラン。

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▼architect : Luca Ladinetti
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ルカ・ランディネッティは、日本が大好き。3年前には来日し、新旧さまざまな建築を調査しながら日本各地を訪ねました。

▼お問い合わせは、下記連絡先のルカ本人へ。またはトランローグまでお気軽にどうぞ!
Luca Ladinetti architetto
l.ladinetti@2045.it
via Parigi 16
40121 Bologna, Italy
archilovers.com/luca-ladinetti

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2012.08.06

旅で出合った暮らしのかたち〜イエメン・イタリア・モロッコ・マリ・中国〜 第1章 はじめに

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▲イエメン:ハジャラ
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▲イエメン:サナア
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▲イタリア:アルベロベッロ/トゥルッリ
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▲モロッコ:カスバ街道
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▲マリ:セグー
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▲マリ:バンディアガラ
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▲中国:西安/窰洞(ヤオトン)
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▲中国:福建省/客家土楼

photo & text: Motohiro SUGITA
(この記事は、1997年に取材したものです。)

旅で出合った暮らしのかたち
第1章 はじめに〜旅行練習〜(日本〜シンガポール)
第2章 イエメン(サナア〜ダル・アル・ハジャ〜シバーム〜ハジャラ)
第3章 イタリア(アルベロベッロ〜ロコロトンド〜マテーラ)
第4章 モロッコ(カサブランカ〜アトラス山脈〜マラケシュ〜カスバ街道〜ワルザザード)
第5章 マリ(バンディアガラ〜ジェンネ〜モプティ)
第6章 中国(客家土楼〜窰洞)


そうだ。世界旅行、行こう。

 旅に出るにあたって、デザイン会社を経営し多忙を極めていた私が、何故、1ヶ月以上もの期間、会社を閉めて旅に出ることができたのか。先ずそこから話を始めよう。
 それは1997年2月28日金曜日午後5時、突然の電話から始まった。
 「もしもし、杉田さん。たいへん申し訳ありませんが、現行のプロジェクトは中止となりました。今後のことは、・・・・」
 2年以上も続いた、そして今後2年以上は続くであろうと計画していたプロジェクトが、週末の、夕方の電話一本で解消された。社員のこと、清算のこと、これからの家族のこと、あらゆることが駆け巡って頭は空白になった。
 すぐさま社員に事情を話すと、
 「私たちのことはご心配なく、これで終わるつもりはありませんから。それより杉田さん大丈夫ですか。何か虚ろですよ」
 などと、心配されてしまう始末だ。
 そして、私は2人の社員を連れて妻の入院する産婦人科に見舞いに出掛けた。
 今週月曜日に私の第1子、長男が誕生したばかりだったのだ。そして、明日、土曜日には妻子ともに退院を予定していた。2人の社員の計らいで、退院前に見舞いに行きたいとのことで、私と3人で出掛けたのだった。
 プロジェクト中止の知らせに、妻はさほど驚いた様子もなかった。誰もがいつか起こること、いつまでもいいことばかりは続かないと無意識のうちに覚悟している。今は、そんな時代なのだ。
 私と2人の社員は、帰り道、約束していた中華料理店に入り、飲茶で乾杯した。
 「おめでとうございます」
 「申し訳ありません」
 月曜日に息子が誕生し、金曜日に仕事を失った。
 生涯忘れられない1週間となったばかりでなく、今から始まる旅のおかげで、本年33歳、忘れられない1年となった。
 わが社で最大の仕事を失った私は、思いがけず、時間に余裕ができた。また、世界旅行を行う準備として、日頃から銀貨ばかりを貯めていた貯金箱がいっぱいになっていた。
 迷いはない、真っ先に妻に相談した。
 「いいよ。行ってください。私は、1ヶ月間大阪の実家に息子と里帰りしてますから。こんな時でなければ行けないから、是非行って来てください。行っちゃダメだと言っても、行くでしょ」
 全く、その通りだ。素晴らしい妻。かわいい息子。お父さんは、調査旅行に出掛ける決心をした。
 わが社は住宅関連のデザインを行っている。だからこの旅は、わが社の未来を賭けた仕事なのだ。自分と家族にそう言い聞かせた。

時の権力者が残した遺跡を訪ね歩く旅ではなく、
独自の文化、自然環境から生まれた独特なかたちの、
生きた民家を訪ね歩く旅の面白さを追求したい。

 私は以前から、独特な形をした世界の民家を訪ねることが夢だった。
 事の始まりは、建築家のバイブルの1冊、バーナード・ルドルフスキーの「建築家なしの建築」との出合いである。それは、そのタイトル通り建築家が設計していない、その土地の風土やライフスタイルに適合 した、風変わりとも言える世界中の民家を、白黒写真で紹介した建築写真集だ。多くは秘境と言われる、交通の不便な地域にあるので、知的好奇心とともに冒険心をもそそる、とても魅力的な本だ。
 私はその本を見ては忙しい日常から空想旅行に耽っていた。私は空想の中で民家に暮らす人々と対話し、その暮らしを追体験していた。時にはアラブの衣裳を纏い、またある時は西アフリカでダンスを踊り、人民服を着た中国の老人から熱いお茶をいただき、私は彼らの文化やその土地の自然と暮らしの関係について尋ね、記録することを夢見た。
 私の旅は、そこに暮らす人々にとっては日常なのだ。ところが、権力者の建立した遺跡には、日常がない。だから、私にとって遺跡巡りは、観光ではあっても旅ではない。また私は、遺跡の前で私を待ち構えているビジネスマンではなく、そこに暮らす見知らぬ人々と出会いたいと想い続けていたのであった。

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2009.12.15

vol.2 イタリア ボローニャ

カテゴリー:05■暮らしのかたち/旅で出会った家とライフスタイル
photo/text: Motohiro SUGITA

26年前の夏、トスカーナの片田舎に迷い込んだ私を、一宿二飯でもてなしてくれた老夫婦のリビアーノとイソリーナ。
25年ぶりに彼らの暮らすボローニャのマンションで再会した私は、そこで7人の子どもと17人の孫に囲まれて幸せに暮らす彼らのライフスタイルを目の当たりにした。

昨年2月、見知らぬイタリア人からメールが届いた。
英語で書かれた文面に我が目を疑った。
なんと、ルカと名乗るその青年は、リビアーノとイソリーナの孫、と書いてあるではないか。
去る1月にリビアーノ80歳のお祝の席で、偶然にも本に挟まれた私からの手紙を発見したリビアーノが、建築家で日本に興味を抱いているルカに私のことを話したところ、早速ルカは、ネット・サーフィンで私を探し当てたのだった。
もちろん最初は私たちのことを知った第三者の悪ふざけと疑ったが、どうやら彼らはリビアーノの家族に間違いないことがわかった。
一ヶ月ほどの間、何通かメールのやり取りを行った後、私は4月に開催される世界最大のデザイン・イベント「ミラノ・サローネ」での取材と合わせ、二泊三日の予定でリビアーノ一家を訪ねる約束をした。
そして、2カ月後に25年分の思い出と感謝を荷物に詰め、ミラノから彼らの暮らすボローニャへ向かった。

郊外の閑静なマンションに暮らす二人

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リビアーノとイソリーナが暮らすマンション外観

ボローニャ駅に着くと直ぐに、ケータイが鳴った。そして、私と友人の廣瀬君の二人は、ルカの運転する車に乗り込んだ。
20年近くミラノに暮らす廣瀬君は、世界各国で活躍する日本を代表する現代アーティストの一人。おしゃべりなイタリア人も静かに彼の話に聞き入ってしまう程、彼は上手に会話し、たくさんの話を聞き出してくれる。
当初、言葉の通じないリビアーノと私との会話は、孫のルカたちが英語で通訳する予定だった。しかし、80歳を越える高齢の彼らと今後何度会えるか、と考えると少しでも細かく正確な話を聞いておきたくて、私は廣瀬君に通訳をお願いした。

リビアーノとイソリーナは、ボローニャ郊外の緑豊かな新市街にあり、大きな公園に隣接するレンガ張りで低層の、とても感じのよいマンションに暮らしていた。
私は、再会に胸を躍らせながらベルを鳴らし、エレベーターで上がり、玄関に立った。

「Mo ! To ! Hi ! Ro !」
まるでオペラを歌うように両手を広げ、抑揚たっぷりにリビアーノは叫び、私たちはお互いをきつく抱きしめ、喜びに目頭を熱くした。
再会の挨拶が済むと直ぐに、25年前同様私たちは、玄関隣りのリビング兼ダイニングの食卓に就いた。

イタリアが世界に誇る料理上手、イソリーナ劇場の幕開けだ。
いつもの習慣らしくルカが皆にアペルティフとしてカンパリのミニボトルを配った。ワインは、バルコニーの巨大クーラー・ボックスのような貯蔵ケースから1本1本出した。
敬虔なクリスチャンのリビアーノは、食事の前に私たちに一言断ってお祈りした。
すると、イソリーナがダイニングの奥にあるキッチンで料理した前菜を自ら運び、続いてパスタ、メインと順番に運んで来てくれた。そしてデザートとコーヒーで〆るまで、私たちは25年前のお互いの状況や気持ちについて語り合った。


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前菜を取り分けるリビアーノ

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トマトソースのパスタ。その奥はアペルティフ用少量のカンパリソーダ

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メイン料理を取り分けるイソリーナ

リビングやゲストルームには、彼ら大家族の写真や思い出の品々を高級感のあるセンスでデコレーションしてあった。さすがはデザイン大国イタリアの一般家庭だ!


リビアーノの半生の一端に触れて

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ボローニャ最古の教会

翌日気持ちよく目を覚ますと、私たちはビスケットとエスプレッソの簡単な食事を済ませ、午前中はリビアーノの案内でボローニャの歴史的中心街を足早に観光した。
リビアーノが定年退職するまで勤めた銀行の前を通り、ボローニャ最古の教会の司教を務める従兄弟と会い、その教会の地下室を借りて古い文献の修復を行う息子のアトリエを垣間見たとき、神学校に通い、ボローニャの大司教に仕えたリビアーノの家族が、いかに教会と深い関係にあるかがわかった。

再びマンションに戻り、イソリーナ手作りのおいしいフルコースをいただいた。
昼食時には必ず孫の一人が訪ねて来て一緒に食事をするそうだ。絵に描いたような幸せな老後、家族像だ。

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17人の孫の中で最年長のルカ(左)

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地元名物ボロネーゼ・ソース(ミートソース)のパスタ


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卵白をからめて焼いた鶏肉と、付け合わせのラタトゥイユのような煮込み野菜

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イチゴのマチェドニア、アイスクリーム添え

昼食を済ませると、7人の子どもを育てながら都心のマンション、郊外の一戸建て、そして老夫婦二人暮しのマンションと3軒の家を移り住んだリビアーノの半生について聞いた。
また、25年前に私たちが出会ったトスカーナ、サン・マルティーノ村の家は、快適な自然環境の中で大家族が一緒に涼しい夏を過ごすために廃墟となった教会を借り、自費で修復しながら住み続けているセカンド・ハウスであることがわかった。

元々リビアーノとイソリーナは、サン・マルティーノ村近くの農家に生まれたのだった。
イタリアでは、夏をセカンド・ハウスで過ごすのは一般的な習慣で、25年前当時も方々にセカンド・ハウスを探して回ったが、サン・マルティーノ村以上に気に入った場所を見つけることはできなかったそうだ。サン・マルティーノ村の環境の素晴らしさ、街並の可愛らしさは、日本人の私も太鼓判を押したい。

リビアーノは、少年時代に神学校に通ったことが縁で、ボローニャの大司教の運転手を務めることとなった。
やがてリビアーノの将来を案じた大司教は、彼に銀行に転職するよう勧め、彼も大司教に従い、夜間の猛勉強の末に転職を果たし、地元の銀行で定年まで勤めたのだった。

また、イソリーナが18歳のとき、1年間だけ帰郷していた当時21歳のリビアーノと出会い、4年後に二人は結婚。母から裁縫を習っていたイソリーナは、型紙の学校に通わせてもらうことを条件に、ローマのある家庭に住み込み、昼間子守りを勤めた。
これ以降、イソリーナは外で仕事をしたことはないが、料理を始め家事からペンキ塗りまで家のことはすべてこなし、7人の子どもを育て上げた。

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リビアーノとイソリーナ、そして7人の子どもたち。ボローニャにて

他方私は、幼年期をマリア幼稚園で過ごした。愛情深くも、体罰を含めて厳しく躾けるシスターに反抗しながら私は、彼女たちから人格形成にとって逃れられない影響を受けて育った。
やがて大学でデザインを学びながらイタリア文化に興味を抱くようになったそんなある日、目にしたのがタビアーニ兄弟の映画「サン・ロレンツォの夜」。映画の魅力に取り憑かれた私は、ロケ地を目指し、間違ってサン・マルティーノ村に迷い込み、リビアーノに出会ったのだった。

ここまでならば、カトリック文化に強い影響を受けた二人の偶然の出会い、と片付けられるが、翌日ボローニャを見下ろす街のシンボルとも言える丘の上の教会を訪ねたとき、二人の出会いは、偶然を重ね合わせて必然へと導く運命だった、と確信したのだった。

酔いも回り、少し疲れた私たちは、昼寝して、夕食はルカの家で大家族皆でいただく予定であることを聞かされた。

7人の子どものうち4人の家族が隣り合わせて暮らすマンションでの夕食は、いったいどんな様子なのだろうか。
次回は、4世帯が暮らすマンションの様子についてご紹介します。(つづく)

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2009.07.07

vol.1 イタリア トスカーナ サン・マルティーノ村

カテゴリー:05■暮らしのかたち/旅で出会った家とライフスタイル
photo/text: Motohiro SUGITA

26年前の夏(1983年)、トスカーナの片田舎に迷い込んだ私を、一宿二飯でもてなしてくれた老夫婦のリビアーノとイソリーナ。
日本とイタリアの小さな国際交流を通して見えてきた、それぞれの国の文化に根付いた家とライフスタイル。26年前のトスカーナでの出会いは、各国を取材しながら住環境ビジネスをデザインする、私の仕事人生を決定づけた。
そして、私たちは25年ぶりに、奇跡の再会を果たした。

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憧れのイタリア、未知のトスカーナを目指して

当時二十歳だった私は、京都で一人暮らしをしながら、大学でプロダクト・デザインや建築について学んでいた。
幼児期にカトリックのマリア幼稚園に通っていた私は、大学でイタリアを起源とする古代ヨーロッパからルネサンスの建築と彼らのライフスタイルに興味を抱いていた。
そんなある日私は、第2次世界大戦下のトスカーナで繰り広げられる人間模様、愛について深く、クールに描いたタビアーニ兄弟の映画「サン・ロレンツォの夜」を見て、その映画の魅力に取り憑かれ、舞台となった村を訪ねる決意をした。
そして、東京青山にあるイタリア政府観光局を訪ね、映画の舞台サン・マルティーノ村の場所を突き止めた。

大学2年の夏休みに、私はサン・マルティーノ村を目指した。

フィレンツェからローマに向う鉄道の途中、山の中の無人駅で下車した。
人家の無い、急峻な坂道を歩いて登ると小さな集落があり、街の中心のバールでサン・マルティーノ村への行き方を教わった。
しばらくすると、バール店主の叫び声に促され、1時間に1本しかないローカル・バスに飛び乗った。

緩やかな丘が延々と続く清清しい丘陵地帯を走ると、羊飼いが操る羊の群れに何度か道をふさがれた。まるで映画の1シーン。当時はキャンティ・ワイン、今ではスーパー・トスカーナで有名なこの辺りは、人気のない田園地帯だった。ところで、サン・ロレンツォの祝祭日8月10日前後が、その年のワインの善し悪しを決定付ける重要な期間であることから、聖人ロレンツォは、ギリシャ神話の酒神バッカスに対して、カトリック世界のワインの守護聖人になったそうだ。
未だ見ぬ、そして間近に迫ったサン・マルティーノ村への期待が、徐々に高まっていった。

サン・マルティーノは廃墟の村?

太陽が傾く夕刻、私は目的地最寄のバス停で下車した。
人家は疎らだった。
イタリア政府観光局のイタリア人スタッフに赤ボールペンで記してもらった、地図上の大雑把な印を頼りにバス通りから小さな民家が肩を寄せ合う集落へと足を踏み入れた。


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(●写真)バス停からサン・マルティーノ村へ向かうアプローチ。

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(●写真)サン・マルティーノ村の街並。石造りの家では、ground floor(1階)は湿気が多いため、1st floor(2階)を玄関とし、2階以上を住居とするケースが多いようだ。

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(●写真)サン・マルティーノ村、教会前の広場で村人に囲まれる。

しばらくすると、私は見知らぬ異国の訪問者を不信に思った村人たちに取り囲まれ、体格の良い快活そうな女性に英語で話し掛けられた。

私はこの地を訪ねた理由、そしてこの地を教えてくれた日本在住イタリア人について一通り話した。
「何てあなたはクレイジーなの!イタリアにはサン・マルティーノ村はいくつもあるわ!本当にクレイジーだわ!」
彼女は呆れて尋ねた。
「あなたは日本で何をしているの?」
「僕は大学でデザインを勉強しています」
「まぁ。天才じゃない!」
当時イタリアでは、大学に通い、イタリアでデザインに相当する建築を学ぶ者は、限られた人間だったのだ。
「ところで今日はどこで寝るつもりなの?」
「この広場の一角を貸してください。私は毎日駅で寝袋で寝ています。全く平気です。明日朝出て行きます。ご迷惑はお掛けしません」
すると、後ろで一部始終を見つめていた老紳士が彼女に話し掛けた。

偶然?運命?謎の村で謎の出会い

「あなたは本当にラッキーね!あちらの紳士が今晩泊めてくれるそうよ」

こうして私はリビアーノ一家と出会い、広場近くの彼らの家に招待された。
そして、一息つく間もなく彼の奥さんイソリーナの手作りの肉料理と野菜スープをいただくことになった。
お互い言葉が通じない私たちは、料理や食材の名前を何度も繰り返しながらコミュニケーションした。
「カルネ、ミネストラ……」
このとき覚えたイタリア語は未だに記憶に刷り込まれている。
言葉は通じないが、お互い古くからの親友、あるいは親戚のように、心から食事を楽しんだ。見ず知らずの初対面の人間同士が、お互いを疑う事無く自然に付き合えたのは、互いに己に対する自信と、他人への愛を持ち合わせていたからだろう。
しかし、私たちをトスカーナの山奥で引き合わせた、その運命の糸を紐解くには、25年の歳月を待たねばならなかった。

食事の最後に、私は彼らから本場イタリアのチーズを勧められた。
初めていただく羊のチーズ、ペコリーノは味も匂いも強烈で、当時の私は、ただ顔を赤くして「No Grazie!」と断ることしか出来なかった。
そんな私の表情を覗き込み、彼らは皆、腹を抱えて笑い転げた。幸せな食卓だ!
今では私にとってペコリーノは、イタリアン・ディナーには欠かせない味覚の一つだ。

リビアーノ夫婦と同じくこの村に滞在していたもう一組の老夫婦、オットリーノとマリアも、共に食事をしながら、終始私を優しい眼差しで見つめ、心から出会いを喜んでくれた。
普段ボローニャに暮らしていた彼らは、17世紀に建てられたこの家を、夏の家として利用していのだった。何とも余裕のあるライフスタイルではないか!
私は、彼らに自分の生い立ちや旅の目的を説明するため、日本から持参した私の幼稚園から大学までの写真を見せた。

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(●写真)リビアーノたちの夏の家のダイニングにて。左からイソリーナ、リビアーノ、私、オットリーノ、ロッセーラ、マリア。

食後に映画ロケ地をリサーチ

食事が終わった頃、夕刻に村の広場で出会った女性、ロッセーラが私を迎えに来た。
ロッセーラは、フィレンツで観光業に従事していた。だから、英語に不自由が無かった。
「私たち、さっきまで赤の他人だったよね?」と戸惑う間もなく、私は彼らのクイックなペースに心地よくも完全に呑み込まれていった。

ロッセーラの夫ジョバンニが運転するフォルクスワーゲン・ゴルフに乗り込み、隣村のバールまで5分程走った。
私たちは、バールで映画「サン・ロレンツォの夜」を知る村人を探した。

すると、運良くチェザーレという男性が映画を見て知っていた。
そしてチェザーレは、またもや私たちを彼の家に招待してくれた。

そこで私は、映画の舞台サン・マルティーノ村は、実はピサ近くのサン・ミニアート村である、という事実を聞かされた。
初めは耳を疑った。しかし、真実らしい。

サン・ロレンツォは、火炙りにされる図像がシンボルの聖人。
3世紀キリスト迫害時代、ローマ法王の殉教(処刑)に伴い、貴重品を差し出すように求める領主に対して、聖人ロレンツォは、「私の貴重品は弱く、貧しき信者たちです」、と逆らったことから火炙りにされたそうだ。
チェザーレたちイタリア人は、そんな聖人ロレンツォのことを、恐れと親しみと込めて「ファイアー・オブ・サン・ロレンツォ」と呼んでいるようだ。
映画「サン・ロレンツォの夜」には、支配される村人が支配するムッソリーニ(ムッソリーノを支持するファシスト党)によって教会に集められ、サン・ロレンツォの夜に砲弾を撃ち込まれる、という悲劇的1シーンがある。つまり映画は、聖人ロレンツォのアレゴリーとして展開されていたのだ。
また、イタリアでは、聖人ロレンツォの祝祭日8月10日に最初の流れ星に願うと叶う、と伝えられている。映画では、主人公の少女チェチリアと、母親となった彼女が星に願いを掛ける場面が詩的に描かれているのが、美しく印象的だ。

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「『サン・ロレンツォの夜』」は、コミュニストの映画だから、私は嫌いだ!」
この後ローマの食堂で同席した男性は、この映画についてこう評価した。
「僕はコミュニストではない。しかし、あの映画は素晴らしい!……」
私は反論し、説得した。しかし、男性は微動だにせず、無言で拒絶した。
日本では私を含め、この映画に対して、イデオロギーに係らず、「これぞ映画。映画はこうあるべき」と最高の賛辞を贈るファンもいる。
戦争の渦中にいる一人の少女チェチリアのニュートラルな視線を中心に描きながら、老人、妊婦、ファシストの親子、レジスタンス、神父……様々な等身大の個人の喜怒哀楽を、卓越した映像詩にまで昇華させた監督タビアーニ兄弟と、彼らを通して「死ぬな!生きろ!愛せよ!」と訴えかけるイタリア文化への興味は尽きない。

カトリックとコミュニスト

イタリア人にとって、繊細だが無視できない重要なテーマなようだ。
リビアーノとイソリーナは、映画「サン・ロレンツォの夜」についてどのように考えているのだろうか?
因に、彼らの暮らすボローニャは「赤い街」と呼ばれる。ヨーロッパ最古の大学のある革新系の街で、赤い屋根瓦の街並が特徴的だから、とのこと。
しかし、多くのイタリア人にとって政治と宗教、そして個人的な生活心情は、複雑に絡み合い、決して単純な思想に帰結することはないようだ。
映画「サン・ロレンツォの夜」の複雑な面白さは、まさにイタリア文化そのものの味わい深さのように思える。

チェザーレから再び食事とワインを勧められたが、流石に満腹で遠慮した。
「それなら」と彼は私に、ヴィンサントらしきデザートワインやサラミをお土産にくれた。

あちらで、そしてこちらで歓待された結果、その夜は最高に幸せな気分で、相当に酔っていたに違いない。
リビアーノの家に戻ると直ぐに、私は大きな部屋で一人ベッドに潜り込んだ。

冷やりとする石造りの部屋に、清潔だが極めて簡素なベッド。
今私は、まさにチェチリアが星に願いをかけた、あのトスカーナに包まれていた。
「8月10日サン・ロレンツォの夜」前後のこの時期は、ペルセウス流星群がトスカーナの夜空に舞うそうだ。
ガリレオの時代から「トスカーナの空は低い」と言われる程、トスカーナの星空は、地上間近に感じられた。

出会ったばかりの親友とドライブ!

翌朝目覚めると、イソリーナは私を手招きし、石造りの家の窓を開けて見せた。
目の前に現れたのはトスカーナの抜けるような青空……ではなく、なんと秘密の地下教会だった!
見下ろすと、教会の祭壇にはすでに朝から数多くの蝋燭が灯されていた。
小さな村の小さな家から見る教会は、とても荘厳で広大に見えた。
ここは一体何なんだ!?

朝食を済ませるとリビアーノは、私とロッセーラを彼の運転するフィアット・パンダでシエナまで連れて行き、3人で小さな観光ツアーを行った。
彼らは、私に相談すること無く、「今日はシエナ観光の日!」と決めていたのだ。
私は、この時からホスピタリティーに溢れ、マイペースな彼ら、イタリア人が大好きになった。

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(●写真)私の本来の目的地、サン・ミニアートへ向かう途中、シエナを目指す。リビアーノのパンダも、ジョバンニのゴルフも、サン・マルティーノ村の狭い路地を行き来する適性サイズのようだ。

シエナの中心、世界で最も美しいと言われる、扇型ですり鉢上のカンポ広場(現在は世界遺産)には、1週間前にパリオと呼ばれる競馬が行われた際に敷かれた土が残っていた。
空間全体が熱狂に包まれた、その時の余韻が感じられた。

その後リビアーノは、私が本来行くべきサン・ミニアートに向かうため、私を駅へと連れて行き、切符を買ってくれた。
私は、ヨーロッパの鉄道を期間中乗り放題できるユーレイル・パスを持っていたが、私を制止して嬉しそうに切符を買い渡してくれるリビアーノの親切をありがたく受け入れた。
ところで、マリアも私がサン・マルティーノ村から旅立つ朝、5,000円程のお小遣いを私の手に握らせた。
しかし、決してお金に困っている訳ではない私は、彼女の親切に深く感謝の気持ちを表し、丁重にお返しした。

本来の目的地、ピサ近くのサン・ミニアートに着くと、そこはトスカーナ特有の強烈な陽射しで、朦朧とした意識の中、山上にも関わらず、どこか海岸近くに居るような錯覚を覚えた。
そんな時計が止まったような真夏のサン・ミニアートで、映画そのままの内戦の傷跡が残る教会の前に立つと、私は人間の営みの悲しみや無常を想う気分にさせられた。
反面、サン・ミニアート最寄り駅から丘の上の街サン・ミニアートを目指してヒッチハイクする私を、一度は断ったものの、引き返してピックア・アップしてくれた、若く美しい女性。サン・ミニアートを散策する私に、親切にも無償でガイドしてくれた若く無口な男性……。彼らは困った他人を放置できない、愛すべき何かを持っているようだ。
はじめての海外旅行で見知らぬイタリアの人びとから親切にされた私は、自分もこうありたい、こうあるべき、と深く心に刻み込んだ。
私にとってサン・マルティーノ村こそが、本来の目的地だったようだ。

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(●写真)17世紀に建てられた民家の1st floor(2階)から旅立つ私を見送るマリア。

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(●写真)映画ロケ地、サン・ミニアートのオフィシャル・ガイド。教会の塔が青空に聳える典型的なトスカーナの山岳都市。

次回は、どのようにして私たちが25年ぶりに再会を果たしたのか、お話します。(つづく)

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