“AnyTokyo2019 Crazy Futures/ かもしれない未来” で見つけた次の暮らしのデザイン
photo & text: Motohiro SUGITA + Tranlogue Associates
新型コロナウイルスに感染された方とご家族には、慎んでお見舞い申し上げます。
また、医療関係者ならびにエッセンシャルワーカーの皆さまには、心より感謝申し上げます。
2019年11年16日(土)〜24日(日)、Kudan houseにて、“AnyTokyo2019 Crazy Futures/ かもしれない未来” が開催されました。
「新たな分野を切り開こうとする芸術・文化・先端技術が集結するクリエイティブ・フェスティバル」と題された同展は、アーティスト、デザイナー、編集者、事業家などが集まり、実験的、先鋭的な作品やトークイベントを通して、新しい何か、新たな価値・・・この先にある未来をキャッチし、ビジネスモデルの創出や社会課題の解決につなげようという試み。
主催は、AnyTokyo実行委員会ならびに株式会社AnyProjects。
不可解でクレイジーに見えるものに未来が宿る。そんな直観に溢れる場づくりに大きく貢献しているのが、会場となった “kudan house(旧山口萬吉邸)”。
1927年に建てられた地下1階地上3階の邸宅で、2018年に国の有形文化財に登録。
その後、東京急行電鉄、竹中工務店、東邦レオが3社共同でマスターリース(一括借上げ)し、保存活用プロジェクトの一環として、会員制のビジネスイノベーション拠点にコンバージョンしています。
和室やダンスホールとして設計された居室、日本庭園など、和洋折衷のスペイン式洋館は、AnyTokyoのコンセプトやイメージにぴったり。
4年ぶりの開催とのことですが、2015年には「Diversity & Beauty / 美しき多様性」をテーマに芝・増上寺にて開催。特許庁主催・日中韓デザインフォーラムも同時開催。2014年には「Next Field/ 新たな場所」をテーマに、芝・増上寺にて開催。2013年には「New Vector/ 新たなベクトル」をテーマに、青山シーアイプラザにて開催されていたそうです。
メディアを通して次の暮らしをデザインするトランローグは、
会場に出展者を訪ね、取材しました。
現代とは異なる空間、しかも過去に人が暮らした邸宅での展示は、美術館・博物館のようにミニマルで均質な空間とは異なる制約やノイズがあるものの、会場のすべてに対して好奇心全開で臨む来場者との間で、テンションの高い良好なコミュニケーションが交わされる、・・・そんな印象を受けました。
また、「新たな分野を切り開こうとする芸術・文化・先端技術の集結」のなかには、確かに不可解に感じられるものもありましたが、それらと向き合うことで、自分のなかの知識、経験、感情などが、未来を語るキーワードを求めて一斉に動きだす・・・そんな知的興奮を味わいながら、自然と次の暮らしについて考えさせられてしまうクリエイティブ・フェスティバルでした。
Hopeful monster|高島マキコ|アーティスト
エントランスの前庭で、女性とその変容体の幻影らしきものに、足を止められました。
作品は、人々の恐怖心から生み出された妖怪に着目し、現代に生きる女性の不条理・恐怖を具象化したものらしい。
女性が嫉妬から蜘蛛へと変身させられたギリシャ神話上の生物を土台としながら、ダナ・ハラウェイ(1944年ー/米国/科学技術の進展をフェミニズムおよびジェンダーの視点で考察)が、女性の抑圧や可能性を表現するために引用したサイボーグについて、再探求しているのだとか。
ギリシャ神話でライオンの頭・ヤギの胴・ヘビの尾をもち口から火を吐くキマイラ、あるいは、生物の一個体内に同種あるいは異種の別個体の組織が隣り合って存在するキメラ現象が、解放をもとめる被抑圧者の存在について考える機会を与えてくれるそう。
作品の前部には、実際に人が着脱することができる加速度センサが組み込まれ、体の傾きに連動して妖怪が変化するとのこと。
グロテスクななかにキュートなものが同居しているように見えましたが、女性ならではの、高島さんならではの思想と表現が、さまざまに解釈されならがも、インパクトのあるメッセージとして未来の扉を開けたように感じました。
Imagine The Number of Photons./ Meditation Room |脇田 玲|アーティスト
ツール開発:水野雄基
屋外のアプローチ脇の小屋と、本館地下にある茶室のような空間に配置された映像装置は、光の変様について表現しているように見えます。
科学的なシミュレーションを用いて、映像、インスタレーションなどの現代美術へと展開する脇田さんが表現しているのは、遥か太陽から降り注ぐ光の粒子、フォトン(光子)と視覚世界に関係するようです。
映画館のような暗い部屋でさえ、指先には1秒間に4,000億個ものフォトンが降り注いでいるという。日光の下では10万倍とか。
フォトンと、それを反射、屈折させる地球上の物体と、人の目から脳までの器官の相互作用によって成り立つ、見える、見るという現象、行為。
質量も体積も電荷もゼロ、というフォトンが、人の光受容体を通して電気信号に変わり、イメージを結像させるといった、科学的解釈の不思議。
映像作品を見ながら、宇宙と人の緻密で壮大なシステムについて思考を巡らせ、目の前を飛び交うフォトンの数を想像する。
いま「見る」は、過去の「見る」とは、一味違った楽しみに変わりつつあるようです。
地下にある空間は、修行の末に光子を見ることができると言われるチベット・インド仏教の高レベルな瞑想者と真逆のアプローチ。つまり、光子の存在を意識することからから悟りに至る最初の一歩を踏み出すための瞑想の部屋だとか。体感してみたくなりますね。
glow ⇔ grow|TAKT PROJECT|デザインスタジオ
ラグジュアリーなシャンデリアを、ちょっとクリエイティブな雰囲気にアレンジしたもの?、と思いきや、これまで見たことのない機能を内包したLED作品でした。
光で固まる樹脂を、上から発光体の周囲に滴らし、LED光線で硬化させるといった原理で、ゆっくりと姿かたちを変化させるインスタレーション。
TAKT PROJECT曰く「光る事で成長し、成長する事で光が変わる」「姿かたちを完成させるデザインではなく、機能が新たな機能を生んでいく、そのプロセス自体のデザイン」なのだとか。
彼らは作品を、自然とも人工とも言えない成長、自律的成長を促すような制御、完成しない未完成が続く存在として捉えているようです。
一般公開される前日、プレスプレビューを訪ねたため、作品は成長を始めたばがり。
終わりのない造形は、光の変化も相まって、過去、現在、未来と、周囲の環境を含めて変容させていく楽しみに気づかせてくれます。
Vestige|松山祥樹|プロダクトデザイナー
制作協力:株式会社アルファテクニクス
技術やサービス、ライフスタイルなどの変化によって、新たな空間やものが誕生し、今まで当たり前のようにそこにあったものがなくなっていく。
そんな無常観をベースに、新たに誕生する空間のなかで、慣れ親しんだ面影を残しながらスタイリッシュに生まれ変わった冷蔵庫やエアコンのような作品。静かな存在感とでもいうべき印象をもって佇むようにデザインされているようです。
電機メーカーでプロダクトデザイナーとしても活動されている松山さんは、日頃から新しいもの、未来のものについて思考を巡らせるなかで、変わらないものについても、興味や愛着を感じながら、ものと対峙されているのかもしれません。
詩的に未来をかたちにして見せてくれる作品を前に、気づくと「こんな冷蔵庫があったら欲しいな」「こんなエアコンがあったら面白いな」と消費欲求さえ駆り立てられてしまう展示でした。
altag|mmm + Kenta Tanaka|インタープリター
スペイン式洋館のバスルームにおける、空間と音の、実像と虚像の関わりを解き、結ぶ、《altag》と呼ばれる実験なのだとか。
「音は動くものとものの接点で発生し,その輪郭を形作るように存在しているの対して、《altag》は、空間に音をつける,名づける行為を通して,世界の捉え方を音を中心に再設計する試み」「私的空間に留まり、漂い続けてきた想いや音、時間の歪みを音で再構成することで、空間の中で時間を行き来する体験を創り出す」のだそう。
この作品は、盲学校の子どもがタッパーにものを入れ、シャワーや包丁でまな板を叩く音などの効果音を楽しむ「音のままごと」を基に、現場のバスルームや世界中のさまざまな場所で収録した音を再構成して空間に配置する空間音楽なのだそう。
冷んやりとしたノスタルジックなバスルームが《altag》によって変質し、時間を旅することができる、未来の乗り物、体験装置のようでした。
echo|echo project
地下にある、配管が剥き出しとなった機械室のような部屋で、トルソーが纏う黒いコート。基盤や配線を思わせる意匠から、ICTギアではないかと想像させられます。
服自体が発信する信号により、空間やものとの距離を計測しながら、反応が振動として伝わることで空間を認識することのできる身体器官としての“echo wear(上写真・上)”と、手のひらに装着し、手のひらサイズの白杖を目指した“echo band(上写真・下)”。
「echo」をテーマに空間と呼応する服を製作したのは、暗闇のなか、視覚障害者の案内で、視覚以外のさまざまな感覚やコミュニケーションを楽しむソーシャル・エンターテインメント“ダイアログ・イン・ザ・ダーク”の檜山晃さん。そして、メディアアート、データアートといった研究開発要素の強いプロジェクトを中心に、見たことのない表現を追求するライゾマティクスリサーチ。さらに、新たなテクノロジーを積極的に用いた服づくりを行うアンリアレイジの3者。
見えないことを楽しむ服だけど、見た目にも刺激的で、着たい、体験したいと思わせるスタイリング。視覚に頼りすぎず、視覚とは異なる刺激を楽しむことができる、次の暮らしが垣間見えました。
アルゴリズミック・クチュール キメラ|Synflux(川崎和也+佐野虎太郎+清水快+藤平祐輔)/川崎和也(スペキュラティヴ・ファッションデザイナー)
スペイン式洋館の1階、エントランス脇にある応接室のような空間に、ハイエンドなドレスが並んでいると思いきや、モニタ上には、昆虫や爬虫類から菌類といった生物が映し出され、よく見ると服にも、その気配が感じられます。
これらの作品、活動は、20世紀になり、大量生産・大量消費へ舵を切ったファッションが、同時に大量廃棄へと追い込まれる事態を目の当たりにして、生産システムそのものの更新を迫られている、といった問題意識を背景としているようです。
情報と生命、自然と人工が混ざりあう「キメラ的身体(ギリシャ神話でライオンの頭・ヤギの胴・ヘビの尾をもち口から火を吐くキマイラ、あるいは、生物の一個体内に同種あるいは異種の別個体の組織が隣り合って存在するキメラ現象)」のイメージを探求することを目的としているのだとか。
AIによるコンピュータ・プログラムとして問題を解くための手順を定式化したアルゴリズム、バクテリアの生成力を活用する生物実験によって培養されたバイオマテリアル、そしてデザインの創造力の融合による「次のファッション」の可能態(現実的存在へと発展する前の可能的存在)を思索しているのだとか。
これら、次の暮らしのデザインは、ものづくりのアイデア発想法から生産方法までの革新を目指すと同時に、私たちのファッションや服に係る既成概念まで変革してくれそうです。
工藝族車|HUMAN AWESOME ERROR|アートコレクディブ
鍛金(たんきん)という叩いて成形する技巧によってつくられた重厚な銅板と、HONDA CBX 400F。明らさまに異質なものの組み合わせと、不思議と馴染む佇まい。一体何が始まったのか?
蔡海(チェ・ウミ)さんが設立した、工芸家と芸術家のコレクティブHUMAN AWESOMME ERRORが作品に込めたキーワードは、「工芸」「族車」「旧車會(きゅうしゃかい)」。
「工芸」は、主に手作業によって美的側面を追求した実用品、と解釈してみましょう。「族車」は、暴走族風の改造車の一種。 「旧車會」は、古いオートバイを入手して「族車」に改造し、集団走行などを行う団体。
「工芸」取り分け「民藝に代表される伝統工芸」と「族車」は、これまで全く無縁でしたが、実はとても親和性が高いようです。作品を見ていると、両者ともに大量生産や大量消費、大衆といった画一的なものへの否定あるいは問いかけであるように思えてきます。大袈裟に書けば、両者ともに現代社会への叫びであり、救いである、とも言えそうです。しかも、それぞれ孤立した叫びではなく、ひと回り大きな合唱となって響き合っているからビックリ。手厚く保護されることも多い文化と、煙たい目で見られることもある文化の組み合わせの意義は奥深く、大発見です。
無縁であったり、正反対であったり、対立するかもしれないもの同士を繋げたりしながら、それぞれに硬直していた価値観や評価、既成概念を解き放ち、新しい視点や世界観、可能性が提示されているようです。
これこそが、HUMAN AWESOMME ERRORの目論見のようです。
彼らの活動原理は、「技術と文化の歴史が、人間の美意識にもたらす変化を感じとり、見過ごされていた角度から人々の想像力を広げること」とのこと。
漂流物と紙|田中義久 大原大次郎|グラフィックデザイナー|
スペイン式洋館に設えられた床の間。それだけでも興味津々ですが、床の間に散りばめられているのが漂流物というから、さらに知的好奇心をそそられます。
床の間の天井から吊り下げられた木の枝は、モビールのようなタイポグラフィ作品を数多く手がける大原さんの真骨頂らしく、雄弁に語りかけてくるように見えるから不思議です。
床の間の畳の上の糸巻き。書院の上の欠片。違い棚に敷き詰められたさまざまな素材の欠片。床脇の針金。ものは空間のなかで、このように視覚言語化して見せられる、あるいは非言語的コミュニケーションできる可能性があるんだ。そんな希望が湧いてくる作品でした。
軸に見立てられた和紙その他については、次のように解説されていました。
「徳島で制作した和紙の作品を中心に構成する。山形、徳島、葉山など、大原がレジデンス先で採集してきたマテリアルを抽出し、身体性もって紙へと集約させた和紙は、墨流し、落水など、手漉きの技法と作用させながら、多様な色彩や質感を集積、身体の痕跡と共に、文字や図像とは異なる視覚原理を内包し、新たな紙としての生態系を予見させる」とのこと。
伝統的で格式のある空間に、現代の日用品などの廃棄物の欠片。未来の日常では、そんな時間、空間、ものの組み合わせを、心から楽しい、と感じることができるかもしれません。
予想外の美|鈴木啓太 [PRODUCT DESIGN CENTER]|プロダクトデザイナー
エントランス正面に展示された、ラグジュアリー感溢れる金箔の素材は、スペイン式洋館にぴったりの伝統工芸品と思いきや、コンテンポラリーな素材と表現の探求から生まれたもののようです。
透明なアクリルの裏には金箔、さらに漆が塗られ、性質が安定しているアクリルとは異なり、漆は乾燥とともに収縮し、金箔にひび割れを起こさせるのだとか。これは、江戸時代に刀の梢の装飾などに用いられた「ひび塗り」という技巧を現代に甦らせた、ある工房の手によるもの、とのこと。
鈴木さん曰く、20世紀以降今日までは、世界中が均質化された「コントロールの時代」なのだとか。
ある種の反省から、豊かな表情や多様性、唯一無二であるプロダクトの必要性を感じたのでしょう。生活のスタンダードとして100年後に残るプロダクトを思考した結果、「時代によって変化し続け、美しさを更新していく素材や技法の追求」に至ったそうです。
変化するから楽しく見飽きない。未来はもっと、愛着の沸くものに囲まれているかもしれません。
MIST|大城健作|デザイナー
スペイン式洋館にも、現代のミニマルな空間にもフィットする白い壁。
大・中・小の、白い小さなモザイクタイルで構成された白い壁は、「見る角度や位置により動的な効果が生じ、空間に新しい知覚を呼び覚ます。あたかも霧の粒子が宙に浮いている瞬間を切り取ったような深みのある表情を生み出します」とのこと。
ミラノにデザイン事務所を構える大城さんは、家具を中心に数多くのインテリアブランドから商品をリリースしているそう。
未来をつくり出すデザイナーのアプローチはさまざま。
大城さんは、この作品を通して、色も形も大きさも、これ以上単純化できない条件のもと、見る人の気づきによって表情豊かに変化する空間を追求しているかのようです。
MISTというネーミングも、禅や和菓子の創作作法などとも共通する、ミニマルでクリエイティブな世界観を補完しているようで、作品を一層魅力的に見せてくれます。
サウンドインスタレーション ”クロック。触聴覚による時間感覚の拡張"|サクマカイト バティック|サウンドアーティスト
屋外庭園に設けられた“つくばい”と呼ばれる手を洗うための鉢の水音が、2階の部屋へとトランスポートされているという。
流木のような、動物のような木の椅子に座ると、音は骨を伝わって体内に響く感覚を味わえる。
屋外と屋内。壁で仕切られた部屋と部屋の間で、分断されたり、かすかに繋がる感覚を得たり、さらには、ここにいたであろう亡霊の気配をきくことで、自らの実在について思考し、自我を触り集める祈りの空間となる。これは「聴覚の拡張をめざす人体実験」なのだそう。
未来では、時間や空間を超え、触覚や聴覚による体験を通して、自我を確認することが大きな楽しみになっているかもしれません。
もう一つの海景|立石従寛|美術家・音楽家|写真:立石従寛、顧剣亨
映像作品は、不変の象徴として海を捉える杉本博司(1948年ー/写真家)の『海景』への呼応作品なのだとか。
インスタグラムから地域(#atlanticseaや#caribbeanseaなど)と状況(#foggyseaや#oceansunrise)に基づくハッシュタグを選定。そして、これに紐づく膨大な画像を収集。さらに、人工知能によって分析し、ひとつのイメージへ再構築する手法をとることで、人工知能の視る海景。つまり、人間の社会概念が切り出されて観察できるのだそう。
人工知能の視る海には、常に人の像が浮かび上がるのだとか。それは、投稿者の生活、思想、美学が、それぞれの海に反応したものだそう。
人工知能を活用することで、人々の行動からその奥に潜む人々に共通の指向や思想までもが明らかにされる時代のようです。
S³|平川紀道|アーティスト
作品は、4次元ユークリッド空間における3次元球面を2つの座標系で可視化したものなのだとか。
平川さんの創作の出発点には、「球という幾何学形態は『任意の点から等距離にある点の集合』と簡単に説明されるが、それを可視化した時に顕れる視覚的な複雑さのギャップは、純粋に驚きであるだけでなく、「美」の生まれるところを示唆する」という発見があったようです。
美の生まれるところは、自然や文化ばかりでなく、超球面座標系やホップ座標系といった3次元球面とその再現にもある。さらに、偉人が導き出した定義や公式のシンプルな美。それを再現した複雑・多様な美しさ。単純と複雑について、同時に美的感動を味わうことができることに、気づかせてくれる作品でした。
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