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2007.07.27

ドイツの森に鳥居を建てた11日間ー1日目

日本ヨーロッパ8カ国の職人が古来の手仕事で
ドイツの森に鳥居を建てた11日間—1日目

7/5(木)成田:曇り。フランクフルト:曇り、気温16度。ベルリン:夕立。宿泊地ヒッツザッカー:晴れ (text: MotohiroSUGITA)

 削ろう会のメンバー8名とその家族、スタッフの総勢11名は、午前7時成田第一ターミナル・ルフトハンザ・チェックインカウンター前に集合した。日本とヨーロッパの超一級の手技を持つ職人が団結し、ドイツの森に鳥居を建立するための大工道具を機内に預けるには、検査に時間が掛かるため、誰よりも早くチェックインしたかったのだ。

 総勢11名のうちの1人は、この私だ。私は、住関連の商品開発やPRを行うデザイナーであり、同じく住関連のメディア(取材・編集・記事発表)とワークショップ(体験教室)活動を行っている。今回は、メディア活動の一環としてジャーナリストとして同行させていただいた。ジャーナリスト歴は、ちょうど10年。しかし、読者には、ジャーナリストという立場でリポートが書かれた、という前提で読んでいただくよりも、住関連の仕事に広く浅く係わりながら、土日は小さな山小屋をセルフビルドしている、日本古来の家づくりを愛する物好きが、居ても立っても居られず、ドイツまで同行取材を志願した、とお考えいただいたほうが、間違いない。日本とヨーロッパの職人史上の快挙であり、見る者皆を虜にするくらい楽しいプロジェクトではあるが、それは政治経済的な歴史とは無縁で、何よりも私自身の知的好奇心と本能あるいは筋肉的欲求を満たすための取材だからだ。
 一体何のために文化も宗教的背景も異なる職人たちが集まって鳥居を建立しようとしているのか。木材の伐採から始まり、エンジンやモーターを動力とする機械を一切使わず、すべて手道具で仕上げる手仕事は、今時の大工には過酷で未知の世界だ。このプロジェクトが、とある地球の片隅で行われるイリュージョンでないことを自分の目で確かめるまで、私は半信半疑だ。

 荷物の中身は、マサカリ(鉞)やオノ(斧)など重量のある危険物ばかりである。
 プロジェクトにおける連絡の要となっている日本とドイツの文化交流を支援する(社)日本カール・デュイスベルク協会の坂本専務からルフトハンザ日本支社長を通じて参加メンバーの機内預かり荷物は一人当たり30kg。規定の20kgに10kgのボーナスをいただいた。
 なお、坂本さんの計らいでメンバー各人には、旅行中空港内で荷物を没収されることのないよう、旅の目的が明記された証明書が配られた。私の名前が明記された英独併記の証明書を手に取り、改めてプロジェクトの特異性を感じ、緊張した。
 本プロジェクトにおいては、ジャーナリストといえども大工道具30kgを運ばなければならない。その道具箱たるや、2年前から取材している雨宮さんの手作りによる木製の道具箱にゴムチューブを巻いて固定したもので、見るからに危険物そのものだ。マサカリやオノの柄が見え隠れしているではないか。神様、セキュリティ様、どうぞ私たちを無事ドイツの森までお導きください。

 チェックイン時に一人個室に連れ込まれることは無かったものの、全員で保安検査を受けるため、別の場所へと移動させられた。もし、私たちの刃物で溢れかえった荷物を、保安検査を受けずにチェックインカウンターよりベルトコンベアでセキュリティに流してしまったら。考えただけでも恐ろしい。空港内はエマージェンシー状態になるからだ。
 無事検査を終えると一行は出国審査を通って搭乗した。
 成田からフランクフルトを経由し、ベルリンに到着するまでの約15時間のフライトだった。

 ベルリンに着くとドイツ人の若者たちが私たちを出迎えてくれた。
 削ろう会会長で宮大工の杉村さんのもとで修行したハネスと、プロジェクトの棟梁を務める数奇屋大工の甘粕さんのもとで修行したマーク、それに彼らの仲間で今回メンバーの中で最も長身のエリックと、日本から一足先に現地入りした飛騨の家具職人、山内君の4人だ。
 私たちが入国ゲートをくぐるのを見守りながら満面の笑顔で手を振る彼らは、見るからに今時の若者らしく屈託の無い表情で心から私たちの到着を歓迎してくれた。そんな彼らを見ていると、日本では戦争中から神経質なテーマとして取り上げられることの多い鳥居について、彼らは何を考え、どんな想いを抱いているのだろうか、と疑問を感じ、多少の不安を覚えた。

 私たちは2台の車に分乗し、3時間を予定している道中、給油と買い物、トイレを兼ねて一度休憩しただけで、ただひたすら宿泊地であるハンブルク方面、エルベ川のほとり、ニーダーザクセン州ヒッツザッカーを目指した。
北緯53度の高緯度でサマータイムのせいか、夜10時を過ぎても明るい田園風景を、皆すっかり見飽きて車内でぐったりした頃、ようやく宿泊地に到着した。所要時間はおよそ4時間ほどだったか。参考までに日本最北の稚内でも北緯45度だ。
 道中いくつもの小さな町を走り過ぎたが、人一人歩いていない。時刻のせいか、あるいは、やはりここが私の夢の世界、幻だからか。

 長旅で休憩らしい休憩をしていなかった私たちは、すぐに夕食(夜食?)をいただいた。私たちの到着を待っていたドイツの職人たちは、私たちが食事している下屋(母屋の軒下)の外、焚き火を囲んでくつろいでいた。彼らも緊張していたのか疲れていたのか、無口だった。 
 夕食はグリーンカレーだ。皆黙々と食事していたので、少し雰囲気を変えたくなった私は、近くにいた男性に話し掛けた。
「このグリーンカレーは美味しいですね。どなたが作られたのですか?」と尋ねると、男性は「彼女は、今は夜遅いので子供を寝かせるために帰宅してここに居ないが、料理がとても上手なんだ」とゆっくりと優しい口調で答えてくれた。
 この男性こそ、このキャンプサイトの家主で革細工職人のヨギさんだった。

 成田を飛び立って約21時間後、現地時刻の11時を回って疲れ切った私たちは、二手に分かれて宿舎へと移動した。
 一方は下屋の脇、長屋の角の2階、ツタに覆われ、青空階段(屋外階段)のある、とてもロマンティックな雰囲気だった。そこに宮大工の雨宮さん、佐藤さん、谷口君、甘粕棟梁のお弟子さんの木村君が宿泊した。もう一方は歩いて2、3分の場所にあるヴァケーションハウスと呼ばれる、日本の民宿のような施設だ。私は、甘粕棟梁ご夫妻、宮大工の國分さん、菱田君と植木君、インテリアデザイナーで佐藤さんのアシスタントを勤める女性の大鶴さんと一緒にヴァケーションハウスに案内された。今日私たちを迎えに来てくれた山内君は、マークと一緒に皆とは別の部屋に宿泊していた。

 オーナーのご婦人が私たちを玄関に出迎えてくれた。
 2階へ上がると、キッチンからシャワー、トイレ、バルコニーまでとても清潔な空間だった。聞けば改装したばかりとのこと。また、下着以外は洗濯してくれる、というから機内持ち込み手荷物だけで約2週間を過ごさなければならない私にとっては、耳を疑うほど嬉しかった。雨宮さんたちが宿泊する、ワンルームに簡易ベッドが並べられたキャンプのコテージと比較するとあまりにもラグジュアリーだ。この格差は、地位、年齢、性別・・・そして偶然に由来するようだ。
 私たちは、4部屋に分かれたが、2部屋がドアを隔てて続いている部屋に、私と國分さん、菱田君と植木君が滞在することになった。順番にシャワーを浴び、長旅で緊張した神経を休めるためにビールをいただき、皆で床についたのは、成田を出発してほぼ1日経った深夜1時過ぎだった。

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チェックインする雨宮さんと機内預かり危険物

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夕立のベルリン空港

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ヨギさん(手前)の屋敷内、下屋で夕食

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ロマンティックなドミトリー

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ヴァケーションハウス前の菱田君(右)と植木君(左)

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